2018年02月15日
ストリートに、サッカーの源流がある。
「私はアヤックスの1時間半のトレーニングで上手くなったのか。
トレーニングのあとの、2時間のストリートサッカーで上手くなったのか、わからないんだよ」
かつてそう語ったのは、我々のサッカーの祖であるヨハン・クライフでした。
私たちがいうのも何ですが、最近は子どもたちがプレーするスポーツの多くは
クラブやスクールなど、組織化された場所で行われています。
少子化の問題なのか、娯楽が多様化したのか、公園に規制が多いのか……。
一昔前は、そんな環境が珍しい時代でした。
子ども同士で集まって、ボールがなければガムテープで新聞紙を丸めて作る。
もちろん大人は介しておらず、固有のルールを作り、チームを決めて遊びの中でスポーツをする。
リーダーは、もちろん技術レベルが高い子です。
そこには嫌な役割を強いられたり、自分の意見が通らなかったり、
理不尽な言動が多くあります。大人が作った環境よりも、厳しい世界ですね。
先述したクライフは、ストリートサッカーにこそ創造性の根源があり、
精神的な避難所でもあり、欲求不満の社会的なはけ口があると常に言い続けていました。
このような発想・思想が重要だということは、現代を生きる私たち指導者も気がついています。
サッカーは自由なスポーツである。
ですが、自分勝手が許されるわけではない。
現代サッカーはよりコレクティブ(組織的に)なっている。
その狭間で、コーチたちは揺れ動いているわけです。
そのバランスを取るために、組織の中で「意図的に」無秩序な
エッセンスを入れていくことも大切だと感じています。
最近、ジュニアユースではトレーニングの最後、
選手たちに「何をやってもいいよ。好きにして」という時間を設けることがあります。
数人でロンドをしたり、ミニゲームをしたり、個人の課題に黙々と向き合ったり。
ある選手はさっさと帰りの準備をしたりします。
その時間を“ストリート”と言い、笑顔でボールと
戯れる彼らを見ることも、楽しみのひとつになっています。